大河に一滴を。

大河ドラマの感想を中心に、歴史への思いを綴ります

「青天を衝け」第5回の感想

「暑さ寒さも彼岸まで」とは言うものの、春と冬を行ったり来たり。
野鳥のさえずりが日増しににぎやかになっているのを聞くと、季節は後戻りではなく着実に前に進んでいることを実感できます。

藤田東湖、死す!

前回注目した藤田東湖。とうとう東湖が亡くなってしまいました。
火の始末を心配して家の中に戻ったお母さんをかばって、東湖は梁の下敷きになったはずなのに、ドラマではそのあたり何も触れていません。
息をしていない傷だらけの東湖を抱いて、わあわあ泣きじゃくる斉昭の姿だけでした。
その経緯よりも、死んだという事実の方が世の中には衝撃だったことが分かればいいので、そんな描き方でも構わないと言えます。斉昭以外にも、いろいろな人が嘆き悲しんでいる様子が描かれ、当時はかなりの影響力があった人だったのだとよくわかります。
それにしても斉昭はそこまで東湖を頼りにしていたのかと、あらためて感じさせる場面でした。

うそうそ祈祷師、登場

さて、今回も栄一の実際のエピソードが取り上げられました。
お姉さんの病気は家が祟られているからだと、お祓いにやってきた祈祷師を論破する一件です。
このような迷信深い庶民を狙った詐欺は、現代でもあり得そうな話です。
自伝では渋沢家の使用人を祈祷の依り代にしていましたから、ドラマよりももっと手が込んでいるのではないでしょうか。使用人は雇ったばかりということは、この詐欺の下調べのために前もって送り込まれた可能性があります。事情を調べておいてお金になりそうだから、修験者が来て祈祷を行い、祟りがあると言ってお金を巻き上げるという仕組みだったのでしょう。時代劇でもよくありますよね、押し込み強盗の前に仲間をターゲットの商家に潜り込ませて事情を探らせておくというやつ。ここまで、きちんとドラマで描こうとすると一話分必要になるから、今回は依り代は使用人ではなく、修験者の一員でした。
怪しい目で見ていた栄一から、今から5、60年前の無縁仏が祟っていると言う依り代は、年号を聞かれて23年前の年号を応えてしまいますが、これ当時の人じゃなくてもとっさに言える人少ないかもしれないんじゃ? 私はちなみに西暦2004年の年号を聞かれてもすぐに答えられないです。
結局、修験者は言うに事欠いて祟りを野狐のせいにするものだから、野狐なんかに祠を建ててやる必要はないと、栄一にこの件は喝破されて終了しました。

間違った年号を言ってしまいしっぽを出してしまったわけですが、お姉さんの病気の原因は結婚が破談したことが原因で、嫁入り先は狐憑きの家だからと反対されたのだとか。その真偽の程は分かりませんが、狐憑きって修験者の言った野狐と関係あるのかないのか、このあたりは若干すっきりしません。

悪いおきつねさん?

それにしても何にも説明なかったけど、みんな狐憑きってわかるかなあ。歴史好きとか妖怪好きなら大丈夫か。狐憑きという言葉が実際に存在したのは、昭和の時代までですかね。
子どもの頃は親から聞いたことがありました(年がバレる)。「あそこの家は代々狐憑きだ」って話を。でも子どもだから狐って身の回りにはいないけど民話とか童話とかでおなじみだしかわいいし、なんか狐憑きっていいな、とか思っていました。え、だめなの? ってことがわかったのはだいぶ後ですが。狐自体は神様として崇められてもいるのに、不思議ですよね。

今回も最後まで読んでいただき、ありがとうございます。
栄一のお姉さん、元気になってよかったね。
お姉さんと栄一の仲良くじゃれ合う姿は、観ているこちらまで楽しくなるね。

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しっぽって1本でよかったよね